代表よりご挨拶 「私のことを知ってください」 Satoru Ito

二代目代表 伊藤 聡

はじめまして。

山三伊藤工務店、二代目代表の伊藤 聡と申します。

弊社は昭和47年の創業以来、お客様の信頼を大切に堅実に歩んでまいりました。

私は頑固な大工職人の父、創業者である伊藤三郎の背中をみて育ちました。小さい頃は少年野球に夢中で、プロ野球選手になるのが夢でした。高校ではサッカーに熱中しながら、時折り家業である建築現場の仕事を手伝うようになりました。現場では家が建つまでの工程に度々触れ、モノづくりの楽しさ、家づくりの楽しさを知り、次第にもっと深く携わってみたいと思うようになりました。

高校卒業後は建築学校に進み、20歳で山三伊藤工務店に大工弟子入りとして入社。その傍ら大工の訓練校へ3年間通いながら日々コツコツと腕を磨き、在学中には技能大会と製図コンクールで神奈川県知事賞をいただきました。

現場では様々な経験を培い、大工仕事を知るほど自身の天職と感じるようになりました。棟梁に精進し、2006年に二代目として、父の志と会社を引き継ぎました。

仕事をしていく中で困難や壁にぶつかった時、支えられ励まされたのがお客様の「ありがとうの言葉」や「笑顔」です。

この感謝の気持ちを胸に、これからもお客様との出逢いを大切に、地域の工務店として出来ることにを思考錯誤しながら力を注いでまいります。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

二代目代表 伊藤 聡

山三伊藤工務店の家づくり

当社ができないこと、できること

当社ができないこと

社長が一貫して工程把握するため、着工棟数を競うような家づくりはできません。着工までお待ちいただくことがございます。

お客様の健康・安全を第一に考えてご提案しております。お客様のご要望であっても安易にイエスと返答はできません。

当社は小さな会社ですので、ハウスメーカーのようなモデルハウスのご案内や、立派なカタログのご用意はできません。

創業から地元で家づくりをしており、手を抜くことはできません。


当社ができること

家づくりのご相談、設計から施工まで、社長が責任を持って携わります。

大工棟梁の経験を活かした、プランのご提案ができます。構造上強く、熟考された動線・デッドスペース活用のご提案を得意としております。

私たちが建てた実際の家、または建築中の家をご案内いたします。

思いを込めた家づくりができます。


住宅業界の知っておきたい、下請け体制の実情

 注文住宅業界では、お客様との契約後は別業者に建築を任せてしまう、いわゆる下請け体制をとっているハウスメーカーや工務店は少なくありません。

住宅業界における下請け体制とはどのようなものでしょうか?


まず、ご契約いただいたお引渡し日から逆算して、着工から完成まで工程がきっちりと組まれます。

大工工事においては、坪単価×坪数一棟分の請負金額として工務店、または一人親方の大工に任せる、下請け体制となります。

請負金額が予め決まっていますので、予定期日より1日でも早く仕上げるほど、請負利益は大きくなります

ですから一般的に、担当大工はいかに早く仕上げるかを念頭において仕事をしています。

しかし、屋根が仕上がる前に雨天が続けば大工工事はストップしますし、コロナ禍のように予期しない事情などで材料の納期が遅れることもあります。

けれどもどんな事情があろうとも、決まった期日内に仕上げるよう現場監督に厳しく迫られます。

それは、現場監督は上司から、何としてでも契約の引渡し日までに完成させるよう、更に厳しく指示を受けているためです。

担当大工は何とか期日までに仕事を納めようと、早朝から夜遅くまで休みを取る間もなく仕事をします。

それでも間に合わないとなれば、大工仲間に日当を払って応援を頼みます。

この日当は自腹で支払われければならず、利益が目減りしてしまうので、できれば避けたい最終手段といえます。

このような状況下で、肝心な家の仕上がり品質はどうなのでしょうか?

特に完成時に隠れる箇所は施主が目にすることもありませんし、どうしても仕上がりにバラツキが見受けられるのが実情です。

ですから一般的には、下請け体制で丁寧な手仕事を求めるのは非常に困難といえます。

 当社では施工の品質確保に努めるため、設計・施工、アフターメンテナンスを自社で行う「自社一貫施工」の家づくりを大切にしております。

施主様をはじめ、当社で建築を検討される方も、いつでも建築現場を見ることができますのでご安心いただけます。

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二代目へ繋ぐ(享年77歳)

「山」と、三郎の「三」からとって山三伊藤工務店と屋号にしました。

山三伊藤工務店、初代の伊藤三郎と申します。

いろいろお話ししたいことはあるのですが、山三伊藤工務店が創業に至るまでのお話しをさせてください。

私は、山形県最上郡で三男として生まれ育ちました。中学卒業後に大工13番弟子として親方の元に弟子入りをしました。兄弟子たちと衣食住を共にしながら5年間の厳しい修行で大工技術を叩き込まれた後、お礼奉公をしてようやく一人前の職人として認められました。

そうして最初に手掛けたのは、自宅の増改築でした。出来上がった時に、家族みんなが喜ぶ顔を見て「あぁ〜〜、大工になって良かった〜」としみじみと実感し、胸がいっぱいになったのを覚えています。

不安もありましたが自分の腕を試したい思いで、兄弟子に紹介してもらった工務店を頼りに、道具箱ひとつで横浜に出てきました。それから住み込みで3年ほど働いたのち、所帯を持ったのを機に独立を決意。

昭和47年に創業したのが山三伊藤工務店です。

よく山三伊藤工務店の「山三」は何ですか?と聞かれるのですが、出身県(山形県)と名前(三郎)の頭文字をとって 山三伊藤工務店 と屋号にしました。今では「山三さん」と親しまれています。

住む人が心地良く健康に、そして長く住み続けられる家をつくり続けたい。今も変わらないその想いを二代目にたくし、これからも造り手の顔が見える地域の工務店として、お客様の住まいづくりに貢献できるよう精一杯励んでもらいたい、それが私の願いです。

創業者 故伊藤 三郎

「山」と、三郎の「三」からとって山三伊藤工務店と屋号にしました。

創業当時の建前の様子 伊藤三郎〈左〉